p.3 資料2の写真 川西国鉄前駅名標のローマ字つづりが変なのにお気づきになったかもしれない。後に正しく書き直されている。
p.11 能勢電敷設の動機について、ごく簡単に触れている箇所。能勢電創立の中心人物は池田町の中里喜代吉である。その他発起人は、赤木豊太郎(神戸市)、魚澄惣一郎(神戸市)、小西豊太郎(神戸市)、山本繁造(神戸市)、桜井米次郎(武庫村)、大村湶(池田町)、今井正太郎(立花村)で、神戸市の有力者が多いのであるが、中里とどのような関係にあったのか、まったく分からない。
一方で、最初の社史『風雪60年史』は、創業時を知る人々(江本兼蔵氏ほか)も存命の頃のものであり、そこにあるように
「この(妙見の)参詣者の利便を図る遊覧電車と当時の箕面有馬電鉄との連絡により、山間僻地の部落を大都市に直結せしめて能勢の産物である三白(酒、米、寒天)、三黒(黒牛、栗、炭)の輸送に当たり、一方には平野の帝国鉱泉の搬出と山下製銅所の製品、原料の運搬を目的として」
という敷設目的の記述は、最も信頼のおけるものであるといえる。ただ、「箕面有馬電鉄との連絡により」というところは、当初は阪鶴鉄道との連絡と考えるべきであろう。
さらに一次資料である『特許稟請書』(明治38年;川西市史6巻所収)を見てみると、収支予測がやや饒舌な感じで記述されていて、中里喜代吉は、そこにあるような見積もりを説得材料として、一見無関係と思われる神戸方面の有力者の協力を取り付けたのではないかとも推測される。収入予測の内容の要点は、近隣諸国より妙見登山を行う者が多いことが何より第一、副次的に阪鶴鉄道池田駅と呉服橋西詰(小花村大畑付近)の間の往来も乗客として見込めることに言及している(その間のみ複線の計画であった)。貨物については具体的な分析が記載されていないが、概算として旅客収入年3万2千円に対して貨物収入年5千円を見込んでいるので、目的に含まれていたことは間違いないだろう。ちなみに営業距離がおよそ倍だった摂津鉄道は明治29年に旅客収入が約3万6千円、貨物が約2千5百円という実績で、かなり近い規模である。
このように、目的については(やや脆弱な根拠に見えるかもしれないが)当事者の公式見解について疑う余地はないといえる。わからないのは、このような計画に神戸の資産家が協力する気になった理由である。中里らと特に人的なつながりがあったのか、あるいは能勢の産品が阪鶴鉄道と結びついたときに神戸の商工業にとって重要な意味を持ちうるものであったのか、はたまたそういったこととは関係なく、単に出資分の利益を期待していただけなのか、これら発起人の立場での資料があれば解明できるのだろうが…
さて、能勢電の最初期の定款には上記発起人に続いて賛助員35人が挙げられており、中には後の猪名川水力電気株式会社創立者の一人である東谷村の野原種次郎がいる。そして定款には電車事業以外に電気供給事業も挙げられている(電気事業は明治41年6月6日に許可を受ける)。 これは一般の電力事業というよりも電車への送電のための付帯事業と考えられるが、一応発電所も含めて計画されており、その敷地として3300坪を購入している。そうしてみると、能勢電が発電所建設に力を入れようとしていたことと、野原の電気事業への関与との間に何か結びつきがありそうにも思える。結局能勢電は、資金難のため自力での発電をあきらめ、開業時には猪名川水力より受電することになる。野原はその後も妙見ケーブルの発起人の一人として、能勢電との一定の関係があったようである。
発電所用地および最初期の本社(創立事務所)は大畑15番地の5付近にあったとされている(発電所用地については『風雪60年史』p.147)。 ここで、10年ほど前までその近くに存在していた摂津鉄道池田駅の跡地との関係があったのか否かが別の疑問として浮かび上がってくる。両者とも鉄道事業であるだけにもしそうだとしたらちょっと面白いつながりになりそうではあるのだが、何も証拠はない。それどころか能勢電はここに拠点を築くには至らず手放さざるを得なかったので、摂津鉄道跡地が絡んでいたとしても影響はほとんど残らなかっただろう。その後の高野製帽工場(大正7年開業)の敷地に引き継がれたという仮説もいかにもありえそうだが、これも確証がない。
このように初っ端から謎だらけである。どこまで続くかわからないが、謎は謎として下記のごとく整理してここに提示していきたいと思う。今の所答えのない純粋な問いである。
[Q0-1] 能勢電の発起人に神戸在住の資産家が多かったのはなぜか。
[Q0-2] 能勢電と猪名川水力電気とは野原種次郎を介して結びついていたようだが、開業後の給電契約以前、発電事業の模索時期において何かそれについての関与があったのか。
[Q0-3] 摂津鉄道池田駅、能勢電の創立事務所・発電所用地、高野製帽工場は、少しずつ時期がずれた形でいずれも小花村字大畑に存在したが、跡地利用のような関係があったのかどうか。
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