昭和40年代中頃、51, 61が連絡線でまだまだがんばっていた頃の能勢電の写真です。
P: I. Yoshida
1971(S.46)年 平野車庫
右の60は完全に物置と化している様子。左の519背後から顔だけのぞかせているのは、貨物電車106。
P: I. Yoshida
1971(S.46)年 平野車庫
片隅に留置された13の前に、やぐら組の簡易移動車両が放置されています。詳細は不明ということですが、どなたかご存じでしょうか。柱の一本に、「四米五百七十」と書かれています。かすかに「三号」(後ろ)と「五?号」(手前)と書かれた車号札(?)も持っています。高さから考えて架線のメンテナンス用ではないかと思われますが…。一応、径50cm位の車輪を履いています。上部のハシゴの組は、起こして四方の囲いにしたのではないかとも思われます。
P: I. Yoshida
1971(S.46)年 平野車庫
61は51と交代で国鉄前線で使われていました。この姿は平野でしばし休憩といったところでしょうか。
P: I. Yoshida
1971(S.46)年 川西能勢口駅
川西能勢口駅の51。この1号ホームの西端が待機位置である点はいつも同じですが、この時期はホームがここまでで切れていて、2号ホームとつながっていなかったことがわかります。
P: I. Yoshida
1971(S.46)年 川西能勢口駅
同51のZパンタのアップ。
P: I. Yoshida
1971(S.46)年 国鉄前連絡線
阪急ガード下のS字カーブ部分。下から農協倉庫がのぞいています。撮影場所は簡易踏切近くです。
P: I. Yoshida
1971(S.46)年 国鉄前連絡線
草の生い茂るに任せられた川西国鉄前駅。
P: I. Yoshida
1972(S.47)年 国鉄前連絡線
前記ガード前を能勢口に向かう61。左右からそれぞれ小戸用水へと小さい流れが合流する様子もわかります。
P: I. Yoshida
1972(S.47)年 国鉄前連絡線
ガードのすぐ北側を築堤から写したものと思われます。車両は同じく61で、国鉄前へ向かっています。手前の溝にかかる、鋼材で支えた橋のことをよく覚えています。当時私は幼稚園に行っていた位の歳でしたが、レールの上を歩いてここを渡りきるのを肝試しのようにしていたものです。枕木が敷かれていないのでレール上を歩くしかないのです。ガードの南側にもう一か所こういう橋がありました。