かつて国鉄前の日通川西支店にお勤めだったK.Sさんという方に電話で当時のことを伺うことができましたので、お話の要旨を掲載いたします。
2000.10. 電話インタビュー。聞き手・再構成=筆者
− 川西の日通は以前は国鉄のヤードの向かいにありましたが、駅が移転した頃には加茂の方に移りましたね。この頃に日通にお勤めだったと伺いました。
そうです。昭和35年から加茂に移って定年になるまでおりました。
− 電話ということで唐突に失礼なのですが、いくつか当時の状況についてお伺いしたいことがあります。まず、ここでは自動車の輸送がありましたね。
ええ、ダイハツの自動車輸送をやっていました。那須運送という会社がありまして、ダイハツから国鉄のヤードまで新車を輸送、陸送をね、して来るわけです。その積み替えを日通で担当していました。
− なるほど。
この日通の敷地なんですが、私の聞いたところでは、池田の豊能運送という会社の社長さんがこの辺りの土地を所有してましてね、日通はそれを借りるような形だったらしいですね。
− 農協倉庫と一緒の敷地だったという話を聞いたことがあります。
そうです、奥の方は確かに農協の倉庫になっていました。
− 引込み線があったようですね。
そうです。
− 能勢電のものだったか国鉄のものだったか良くわからないのですが(注:空中写真で確認する前だったため)
いえ、能勢電のがあったのはずっと昔のことだったと聞いています。私の先輩の頃の。私のいた頃は(引込み線は)使ってなかったですね。そうではなく農協の倉庫を挟んで、その東側の、そうですね、数十メートルの所に日通の引込み線がありましてね。
− 国道をまたいでですか?
そう、国道をまたいで敷いてありました。
− それも自動車の輸送と関係があったのですか?
いいえ、これは自動車を扱っていたのではなくて、当時、あちこちにゴルフ場ができたりしておったのですが、そのゴルフ場で使う芝草をね、大山の方から運んできたり、それから松の木のチップ材とか、炭なんかを積み下ろししていました。
− 確かに当時はゴルフ場建設がブームになっていましたね。炭というと、能勢の方の炭ですかね。
いや、そうではなくて、国鉄の方から到着した炭ですね。それを降ろしていました。
− 作業はどんな感じでしたか?
この引込み線ではね、夕方配送とかが全部終わってみんなが戻ってきた頃にね、さあ、って集まってね、みんなでそういった貨物を貨車から積み降ろすんですよ。終業前の時間にね。
− フォークリフトも使っておられたのですか?
勿論。これは国鉄のコンテナを運ぶためですが、5tのフォークリフトを2台使っていました。
− それはどの辺りで?
ヤードの方でも倉庫側でもやっていました。
− つまりフォークリフトで国道を行き来していたわけですね。
− 倉庫がいくつかありましたが、どんな感じでしたでしょうか?
私がいた間に木造からの立て替えがあったのをおぼえています。
− 何を保管していたのでしょうか?
覚えているのは米なんかでしたね。
− ありがとうございました。いろいろ疑問が解けました。これ以外にももっとゆっくり思い出を聞かせていただきたいとは思うのですが、もう時間も大分取ってしまいました。またの機会にお願いできますでしょうか?
ええ、いつでも聞いてください。
− ありがとうございます。ではこの辺で失礼致します。
(文責=筆者)
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